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アンミカの不妊治療 笑顔の裏の絶望 母になるために必死で身体と向き合った4年間

投稿日:2021年6月21日 更新日:

明るい笑顔と愛ある言葉で、多くの人を励ますアンミカさんが 誰にも言えずに抱え込んできた“不妊治療”への取り組みを語ってくれました。

不妊治療の末に子どもを授からなかったことを明かすアンミカさん。今回はアンミカさんの不妊治療の絶望から得た“幸せ”についてまとめてみました

今だから話せる

明るい笑顔と愛ある言葉で、多くの人を励ますアンミカさんが、誰にも言えずに抱え込んできたという

“不妊治療”への取り組みを、明かしてくれてます。

母になることを夢見て、必死に身体と向き合った4年間から得られた「宝」とは──。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b18ee629304c67f8c0396c7b0beda9488e6e2ed3

42歳からの不妊治療

「悩みなく能天気なキャラに思われることもあるのですが、人生でつらいことも受け入れて乗り越えてきたからこそ、幸せを見つけるアンテナを磨いてこれた。

だから今“幸せだ”と感じることができているのだと思っています。

アンミカさんはこう話しています。

 夫との今の幸せを語るうえで、不妊治療の末に子どもを授からなかったことは大きく影響しています。

この経験は自分自身の気持ちの整理ができるようになったら話したいと、ずっと考えてきました。

似たような経験をしてきた方に何かのきっかけやヒントになれることかもしれないと、思えるようになったんです」

人工授精をすすめられる

 ポジティブで前向き。そんな言葉がピッタリのアンミカさんですが、

「あのころは霧がかかったようになっていました」と振り返る。  

アンミカさんが、イベント制作会社を経営するアメリカ人の夫と結婚したのは2012年。

40歳のときでした。

「その年齢で結婚すると真っ先に話し合うのは子どものことだと思うんですが……。

夫は最初、子どもはいなくてもいいよ、でも子どもがいたらいたで幸せだろうな、という感じだったんです」

 その一方でアンミカさんは、そのころ強烈に子どもが欲しかったそうです。

しかし、仕事もちょうど軌道に乗ってきていた時期だったそうです。。

大阪から上京して2年。通販番組の仕事でも、大きく売り上げを伸ばしているときでした。

「それを休んで妊活に入るのは惜しい気持ちもあったし、

私の中に迷いもあり、あえて夫婦で積極的に子どもの話はせずに

自然に授かればうれしいという気持ちでいました」

 ところが1年たっても自然妊娠することはなく、

そこで初めて婦人科のドアを叩いて、妊娠しやすい時期を医師にアドバイスしてもらい、

『タイミング療法』を受け始めることになりました。

「半年間トライしてみたけれど、ダメだったんですよ」

 アンミカさんが、もうすぐ42歳になろうとしていたころ、そこでようやく自分の年齢を鑑み、

「もしかしたらできないのかも……」という不安がよぎり、精密な検査を受けることにしたそうです。

「その結果、子宮奇形だったんですが、卵管も通っているし妊娠は不可能ではないと。

ただ、AMH(抗ミュラー管ホルモン=卵巣に成長中の卵子がどれだけあるかを測るもの)と、FSH(卵胞刺激ホルモン=原始卵胞の発育を促す作用をする)の数値が自然妊娠には厳しいとのことで、

人工授精をすすめられたんです」  

そこで改めて夫婦が、子どもという問題に真摯に向き合うことになったようです。

「これまでのことを夫に話して、人工授精をしたいと伝えると、意外にもすんなり“いいよ”と言ってくれたんです。

“君への愛情が深くなって、愛する人との子どもがいたら、どんな人生だろうって想像するようになった”と」

絶望感と焦りの毎日

 夫も検査を受け、問題はないと判明。いよいよ人工授精への期待がふくらむ。

「体外受精から顕微授精に切り替えることになったときのためにも、少しでも若い卵を冷凍保存しようとなったんですが、私の場合、どんなに誘発剤を打っても卵子が1~2個取れるか取れないかだったんです」  

やっとのことで受精した卵をお腹に戻すと、すぐに着床して妊娠検査薬で反応が出た。

「高齢にもかかわらず1回目で着床できたことに喜んだのもつかの間、次の診察のときにはいなくなっていました」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b18ee629304c67f8c0396c7b0beda9488e6e2ed3?page=2

また ”ゼロから” という絶望感と焦り・・・。

アンミカさんは、毎日、SNSで同世代で妊娠した人たちの投稿を見て希望を持っては、

同時に妊娠できなかった自分を責めていたと言います。

「あのときヒールをはいて仕事をしたから。

スタジオが寒かったので暖かいズボンの衣装を選べばよかった。

今、階段を歩いちゃったけど、振動がまずかったかな……」  

生活のすべてが、そこに向いてしまう日々。

さらに顕微授精へと進んでいく。

「そこで初めて胎嚢(たいのう)が大きくなるところまでいったんです。

“やっとだ、きっと来てくれる!”と思いました。ですがその後、心拍が確認できなかった」  

アンミカさんは、仕事をしながらの不妊治療は精神的にも限界にきていた と、話しています。

仕事のせいで流産したのではという思いと、仕事のおかげで気分転換できて救われている思いがせめぎ合った。

言葉にならない葛藤の毎日だったのでしょう。

 さらに、もうひとつ気がかりだったのは、30代のころから甲状腺の疾患である橋本病の持病があったようです。

若くして更年期のような症状が見られ、早期流産するクセもその影響が少なからずあったといいます。

「持病に加え心労が重なり、体調を崩しがちになりました。そこで不妊治療を一度中断し、心身を休めることにしました。根本的に体質を見直すために、漢方養生指導士の勉強をし、体質改善に努める日々が始まりました」

不妊治療の中で探した“学びの宝”

「私は幼少期に家が火事になったり、いろいろな不運に見舞われてきました。そんなときに教会の神父様にいただいた“神様は乗り越えられない壁をお与えにならない”という言葉が、人生の礎になっています。この出来事のどこに学びがあるのか探しながら、知恵と工夫を見つけられたら、自分の器を大きくして幸せになれると信じているんです」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b18ee629304c67f8c0396c7b0beda9488e6e2ed3?page=3

アンミカさんは、“なかなか妊娠できない” と、焦る気持ちを抑えながら、43歳は勉強と自分を労わる年と決めたそうです。

44歳から顕微授精・46歳で不妊治療から卒業

またも流産してしまう。

「そういうことが何回か続いて、自分の身体は“不育症”(※2回以上流産、死産を繰り返し、子どもを持てない人のことを広く不育症という)であると理解しました。

46歳で数値が悪化していき、生理がピタッと止まって、夫と話し合った結果、不妊治療からは卒業しました」

 やりきれない思いを抱えていたはずなのに、意外にも本人は「解放された」と明かしています。  

自分の身体と心と向き合った、42歳から46歳までの4年間・・・。

その間には、仲よしのタレント仲間と「一緒に子どもをつくってママ友になろうね」と笑い合ったりもしたそうです。

「みんな次々と妊娠して、最後は私だけできなくて、だんだん集まりにも行きにくくなっていったんですよ。あのとき、私は心の底からみんなのことを喜んであげられていなかったんじゃないかと思い、気持ちを切り替えました。今では“おめでとう。遊びに行くから抱っこさせて!”と、よりよいお付き合いができるようになっています」

その心が、どんなに複雑で繊細なものなのか、言葉では言い表せないですね。

アンミカさんはこう話しています。

「妊娠が不可能になったとき、“ごめんね、子どもを産んであげられなくて”と伝えたら、彼がすごく怒って、“結婚したときに僕が言ったこと覚えてる? その気持ちは変わらないよ”って。

“子どもがいたら楽しい人生かもしれない。でも君とふたりで過ごす人生も楽しい。

右も幸せ左も幸せ。誰かと比べることなく、まず自分が幸せであることが大切だよ”って」  

かつて流産したとき、決して“次があるよ”などと安易な言葉をかけず、ただ黙って一緒に泣いてくれた夫だった。

「この治療があったおかげで、お互いのことを知って、絆も愛も、さらに深まった感じがします。毎日、家に帰るのが楽しいの。やっとテディに会える!って(笑)」

不妊治療をして授からなかったことを語る人はあまりいない

 49歳となった今、なぜアンミカさんは、この話をしようと思ったのでしょうか。

「不妊治療をして無事に授かった人が話すことはあるけれど、授からなかったことを語る人はあまりいないなと思いました。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b18ee629304c67f8c0396c7b0beda9488e6e2ed3?page=4

 子どもを育むことも素晴らしいことだけど、まずは自分が自分を大切にできて、幸せであることが人生において大事なのではと考えています。  

つらい気持ちを経験した人は、つらい気持ちを持つ誰かに寄り添える。それが人の最も大きな力だから。私はそう神父様に教わった。そして今、幸せに過ごせています」

アンミカさんはこう言います。

 ありがたいことに、今は夫婦の周りに子どものような存在の人たちがたくさんいます。

みんな、ママ、パパと慕ってくれて幸せです! 社会はすなわち家族で社会にも家族同様の役割がある。後輩や社員を育て社会に貢献することも、子育てと同じだと思い始めています」

明るい笑顔の裏には、こうした壮絶な思いがあったのですね。

自然に妊娠して、自然に出産することは、あたり前ではないということがわかります。

起こること全てにおいて感謝ですね。心からそう思います。

「子どもができないことで、自分の存在意義を否定するような気持ちになったときもあったけど、自分で自分を愛し、夫を慈しんで生きていきたいと思えています。

子どもを産むことに精いっぱいトライした私たち夫婦は、頑張ったからこそ今、ポジティブに笑っていられるんです」

https://news.yahoo.co.jp/articles/b18ee629304c67f8c0396c7b0beda9488e6e2ed3?page=4

アンミカさんらしいコメントですね。

まとめ

今回は

についてまとめてみました。

最後までご覧いただきありがとうございます。

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